聖書と歩む営業マンのblog

営業は大変な仕事だ。しかし聖書を読んで、売ることよりも仕えること、貰うよりも与えることを学ぶと、心が晴れる。

ザカリアの預言

f:id:songchi0326:20211209041206j:image

主は私たちを敵の手から救い出し、恐れなく主に仕えるようにしてくださる。私たちのすべての日々において、主の御前で、敬虔に、正しく。


ルカの福音書 1:74-75


+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+
 
前回はアドベントのことを綴った。


今日は、イエス誕生の半年ほど前に時計の針を進めてみよう。


舞台設定はこうだ。


登場人物は3人。イエスの母マリア、親類のエリサベツ、その夫の祭司ザカリア。場所は、ザカリアとエリサベツの住むユダの町、そこでの1シーンである。


かの有名な受胎告知(天使がマリアにイエス誕生のことを告げること)で、天使が言った「あなたの親類のエリサベツ、あの人もあの年になって男の子を宿しています。不妊と言われていた人なのに、今はもう六か月です」を聞いたマリアは、いそいでエリサベツに会いに行った。


マリアがエリサベツに挨拶すると、エリサベツは聖霊に満たされて大声で叫んだ。


「あなたは女の中で最も祝福された方。あなたの胎の実も祝福されています。私の主の母が私のところに来られるとは、どうしたことでしょう!」と。


すると、マリアもそれに応答して神を賛美した。「マリアの賛歌(マグニフィカート)」としてよく知られているが、今日は詳しく取り上げない。清らかでいて力強いマリアの賛美は感動的だ。


マリアは3か月ほど滞在して家に帰った。その後、エリサベツは男の子を生んだ。この子こそ、イエスに先立ってこの世を悔い改めに導くバプテスマのヨハネである。



前置きが長くなったので先を急ごう。


ヨハネが生まれたとき、父親である祭司ザカリアの口が開かれた。


というのも、天使からヨハネの誕生を知らされたとき、ザカリアは恐れ、惑い、そして信じることができず、天使によって口がきけないようにさせられていたからだ。


舌が解かれたザカリアは、聖霊に満たされて預言した。


今日の聖句は、その中の一部である。


先ほどの妻エリサベツもそうだが、二人とも聖霊に満たされて、とある。つまり、自分の言葉ではなく、聖霊が語らせているというのが重要だ。だから、ザカリアの言葉は預言なのである。


ザカリアの預言のテーマは、救いと解放である。



「主は私たちを敵の手から救い出し、恐れなく主に仕えるようにしてくださる」


これは外的な解放である。


目に見える敵から逃れること、見えない敵からも救い出されること、そして、恐れることなく主を賛美することができること。


ザカリアの預言は時間を超越しているから、これを聞いた時代に適用されるのではなく、つまり、初臨のイエスの時代に適用するのではなく、再臨預言として捉える必要がある。


再びイエスが来られたときに実現する世界として。


「私たちのすべての日々において、主の御前で、敬虔に、正しく」


これは内的な解放である。


エスが再臨されたとき、私たちは罪から解放され、主の御前で賛美する。


これらの、外的な解放と内的な解放が救いである。私たちは、この救いを望み、希望を持ってこの世で生かされている。


ザカリアの預言から、信仰と救い、そして希望を得た。