強くあれ。雄々しくあれ。あなたはわたしが父祖たちに与えると誓った地を、この民に受け継がせなければならないからだ。
ヨシュア記 1:6
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先週と同じ聖句を再び取り上げる。
この聖句を読んだとき、3つのことが頭に浮かんでいた。
1つめは、前回綴ったこと。それは、モーセからヨシュアへのリーダー交代に伴い、神がモーセに告げたのと同じようにヨシュアにも「強くあれ、雄々しくあれ」と告げたこと、それはヨシュアにとって大きな励ましになった。
聖書の歴史、神の計画の確かさをここに知る。
神の計画の確かさ…そう、ヨシュア記には、遊女ラハブが登場する。イエスキリストの系譜に登場する異邦人の女であるラハブの行動は、彼女の自由意思であると同時に神の計画でもあった。
2つめに、この励ましの言葉がそのまま歌になった讃美歌のこと。これだけ有名な聖句だけあって、いろんな曲が存在する。
個人的にはこのバージョンが好きだ。
https://youtu.be/3a80foyUHac
古い子ども讃美歌で「雄々しくあれ、強くあれ」という行進曲風の聖歌もあって、これも好きだが、いささか古くさい。
そして3つ目だが、これは我が家の祖先のことである。このことを書き留めておきたくて、同じ聖句を2週連続で取り上げることにした。
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私は在日コリアン3世である。
祖父母は戦時中に韓国から海を渡って日本に来た。祖父は韓国に妻子を残して単身で、祖母は家族と一緒に、おそらくそれぞれに事情を抱えて日本に来た。
二人がどういう経緯で出会い、そして結婚したのかは知らない。そもそも祖父は家族がいるのに、どうして日本で再び結婚したのか、それもわからない。
祖父は定職につかず、酒と博打に明け暮れ、私が小学生のときにこの世を去った。祖母はそれから30年以上を逞しく生き抜き、もうすぐ100才というところで息絶えた。今から10年前、自宅で家族に見守られながら激動の人生に幕を下ろした。
その祖父母のもとに長男として生まれた私の父は、飲む打つ買うは一切やらず、高校を卒業してから事業を始め、70代後半の今も現役で仕事をしている。
私はその父に大きな影響を受けた。
その父がずっとこだわってきたこと、それが、日本で自分の城を築くことであった。
イスラエルの民に対する土地の約束とは異なるが、土地への強いこだわり、それが父の原動力であった。
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我が家の暮らし向きがよくなってきたのは、時代が昭和から平成に移り変わる頃、つまりバブルの頃(正確にはバブル後期)だった。
事業が好調で、ふだん自宅で父の顔を見ることはあまりなかった。それでも週末や夏休みにはハイキング、キャンプ、海水浴、釣りと色々なアウトドア体験をさせてくれた。
そして、父は夢を叶えた。
土地を購入し、純和風の立派な家を建てた。いわゆる念願のマイホーム、である。しかし父にとっては単なるマイホーム以上の思い入れがあったはずである。
日本で自分の土地を持つことに、並々ならぬこだわりを持っていた。不動産屋や銀行に足元を見られたり、悪質な業者に騙されたこともあったと聞く。
ウソをつくな、正直であれ。損をしてもいいから、誠実であれ。オレたち民族がこの国で生きていくためにはいつも3割のハンデを背負っていると思え。
小さい頃からずっと言われ続けた。残念ながら父が期待するようにはなれなかった。打つ・買うはしないが、酒は飲む。ウソもたくさんついてきたし、不誠実なこともしてきた。
それでもいつも父の生きザマを見て、感じて、尊敬してきた。ヨシュアがモーセの背中を追いかけてきたように。
「強くあれ、雄々しくあれ」を読んで、自身の過去と父のことを鮮明に思い出した。