主がダビデを、すべての敵の手、特にサウルの手から救い出された日に、彼はこの歌のことばを主に歌った。
サムエル記 第二 22:1
+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+
礼拝賛美でこれまでずっとドラムを叩いてきた。
16のときから始めたドラムは、高校や大学でたくさんのバンドで演奏することでそれなりに磨かれた。それで生業を立てようとは思わなかったが、大人になってからも叩く機会は割とあった。
なかでも、教会でプレイズチームの一員としてドラムを叩いて賛美をするというのは、想像をはるかに超える祝福があった。
かれこれ15年近く続けている賛美奉仕であるが、何回かドラムを叩きながらコーラスを担当したことがあった。
賛美を歌う行為は、叩くのとは違った直接的な喜びや感動を得られる。
先日の礼拝で、とうとう叩きながらではなく、単独のボーカルとして賛美を歌うことになった。仕事の都合で参加できなかったメンバーのピンチヒッターとしてである。
緊急登板だからといって手を抜いていいわけはなく、事前に何回も歌って練習した。コーラスではなくメインボーカルだから、自分が気持ちよく歌えればいいのではなく、会衆とともに主に向かって献げるよう導く役割がある。
*
若き日のダビデは、ミケランジェロの彫刻のように逞しく、そして美しかった。
サウルに召し抱えられたダビデは、始めこそサウルの寵愛を受けていたが、次第に命を狙われるようになった。サウルは精神を蝕まれており、若くて美しいダビデを妬んでいたからだ。
サウルの悲壮な死によって救われたダビデが主に捧げた誉め歌が、今日の聖句である。
2節から51節まで続くダビデの歌、そこには、ダビデが経験してきた苦難と嘆き、神への従順と信頼、そして感謝と喜びが刻まれている。
最初の数節だけ取り上げてみる。
主よ、わが巌、わが砦、わが救い主よ、身を避ける、わが岩なる神よ。わが盾、わが救いの角、わがやぐら、わが逃れ場、わが救い主、あなたは私を暴虐から救われます。ほめたたえられる方、この主を呼び求めると、私は敵から救われる。
(第二サムエル 22:2-4)
サウルの死後、この歌を主に向かって歌ったダビデに想いを馳せる。
*
さて、ボーカルデビューであるが、ピアノとアコギに合わせて、丁寧に歌った。
会衆と一緒に主に献げようと、気持ちを込めて歌った。
礼拝後に配信用の動画で賛美を聞き返したところ、音を外していたり、独り善がりに歌っているところがあった。次回に向けての反省点である。
それでも何人かの方、特にシニアのご婦人方から、お褒めの言葉を頂戴した。これからも歌ってほしいと言われて、素直に喜んだ。
今回の経験を通して得たこと、それは、歌うときと同じようにドラムを叩けたらいいなということ。ドラムは慣れているがゆえに、叩きながらつい雑事に心を奪われたり、次にこんなフィル(ドラムのフレーズ)を入れてみようかなと考えたりしてしまう。
ではなく、会衆が賛美を献げる気持ちになれるようにリズムを刻む。それは、歌うように叩く、ということかもしれない。
来週の礼拝での私のドラム演奏はひと味違うはずだ。そうありたいし、そうなれるように祈ろう。
Keep the rhythm with faith.