まことにあなたは私の助けでした。
御翼の陰で私は喜び歌います。
詩篇 63:7
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礼拝賛美でドラムを叩いた。
実に1年ぶりになるのではないか…。
表面的に見るなら久しぶりのドラムの演奏で、楽しかった!となる。しかし、少し立ち止まって深く考えてみると、いろいろな思いが交錯する。
コトの発端はコロナだった。
コロナによって対面での礼拝が消えた。オンラインの礼拝は讃美歌中心に構成されたため、私たちプレイズチームによるギターやドラムを用いた賛美は出番がなく、活動を停止した。
その後、徐々に対面礼拝が再開となり、オンライン併用のハイブリッド型の礼拝が始まり、それが今まで続いている。
対面礼拝が再開したとき、これまでのようにプレイズチームによる賛美かできるものと期待したが、マスクをしたまま歌うことは困難で、かつ会衆の一部がプレイズ賛美に難色を示したため、活動再開とはならなかった。
新たな礼拝の在り方を巡って教会で議論を重ね、祈りつつ、最善の方法を求めた。しかしそれは容易なことではなかった。
こうしたやりとりの中、今年の春、長らくチームに貢献してくれたメインボーカルの方が教会を去った。プレイズチームは存続の危機に陥った。
*
そんなとき、一人気を吐いてチームを支えたのが、ピアノ担当のヌナだった。
ヌナというのは、男性から見て年上の姉を指すハングルで、私たちは親しみを込めて彼女のことを、ヌナと呼んでいる。
プレイズチームがバラバラになりそうなときも、単独でピアノの奉仕を継続し、メンバーを鼓舞し、支えてくれた。
ヌナとはたまにメールのやりとりをする。気丈なヌナだって、ときに悩み苦しみ、ときに不安に襲われる。たった一人でピアノだけで賛美の奉仕を務めていたときのヌナからのメールにはこうあった。
「もともと、私が奏楽をさせていてだくことへの神さまからの問いかけは、1ミナを預かった僕(ルカ19章)の例え話からです。
私が預けていただいたものは小さいですが、預かったものをもって主に仕えるようにと、ピアノの前に座るたびに問われてきました。主を疑い預かったものを土に埋めておくことのないように、と。
今は、人への負の気持ちから解放してくださいと祈りながら座っています。
神さまはそれぞれに思いを与えてくださいますから、それぞれに示されたところに沿って進む時、結果的に神さまが全体を整えてくださると思っています。
しばらくは試練の時が続きますが、神さまが整えてくださり、ともに賛美出来る日がまた来ることを期待して待ちます」
ヌナは祈りの人である。
*
そんなヌナとのやりとりを思い出しながら、演奏した。
久しぶりのプレイズで、感傷的になっていたのかもしれない。「主イエスと歩く道」を賛美しながら、泣けてきた。
それは、私たちプレイズチームが歩んできた道を思ったことと、私自身が大学院通学のために奉仕ができなかったことを思い出したからであった。
シンプルな歌詞とメロディが思いがけず全身を覆い、叩きながら口ずさんでいるうちに涙腺が緩んでしまった。
主イエスと歩く道、何も恐れはない
永遠の天国へ続いてる希望の道
どんなときも歌おう、感謝を絶やさずに
変わらない主の愛がずっと包んでくれるから
この弱さもこの至らなさも
すべて知って受け入れてくれた
わがすべては主よあなたのものです
愛する主イエスよ
感謝であった。
それぞれが賜物を受けているのですから、神の様々な恵みの良い管理者として、その賜物を用いて互いに仕え合いなさい。
(第一ペテロ 4:10)
主よ、用いてください。