聖書と歩む営業マンのblog

営業は大変な仕事だ。しかし聖書を読んで、売ることよりも仕えること、貰うよりも与えることを学ぶと、心が晴れる。

良い木に良い実

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良い木が悪い実を結ぶことはできず、また、悪い木が良い実を結ぶこともできません。
 
マタイの福音書 7:18
 
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庭の柚子の木に果実がたわわに実っている。
 
昨年は植えたばかりでさほど実りがなかった。待ちに待った2年目、数えきれないくらいの柚子がぶら下がっている。
 
陽もたっぷり浴びたし、愛情もたっぷり注いだ。春にちゃんと剪定したことや、害虫駆除をしたことが奏功したのかもしれない。
 
とにかく嬉しい。
 
エスは真実を伝えるときにたとえを用いる。誰もが知っているものを用いてわかりやすく伝える。
 
この聖句でイエスは良い実と悪い実のたとえを話しているが、その直前で、偽預言者のことに触れている。
 
「偽預言者たちに用心しなさい。彼らは羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、内側は貪欲な狼です」
 
これ、赤ずきんちゃんのモチーフになったかもしれない。そう思わせる聖句だ。
 

 
見かけに惑わされてはならない。
 
わかっていても私たちは見かけに惑わされる。ばかりか、見かけを重視するし、自分の見かけも人一倍気になる。
 
そういうものだから仕方ない。
 
しかし主は違う。
 
思い浮かべる旧約聖書の聖句がある。それはサムエル記にある。イスラエルの初代王サウルから王位が剥奪され、それが若き少年ダビデに移ろうとする場面でのことだ。
 
祭司サムエルがダビデの家に到着したとき、羊飼いである末弟ダビデは野にいた。サムエルは、だれが王に相応しいかと、兄たちを1人ずつ吟味した。
 
容姿の立派なダビデの兄たちを見て、サムエルは、彼こそが王だと思うが、しかし王ではなかった。それを繰り返した後の主のことばである。
 
引用しよう。
 
主はサムエルに言われた。「彼の容貌や背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る」
 

 
人はうわべを見るが、主は心を見る。
 
羊の衣を着ていても中身は貪欲な狼。イエスは同じことを言っている。
 
ただイエスはもう少し先のところまで見据えていて、中身が良ければ、良い行ないに繋がるのだと教えてくれる。
 
それを木と果実にたとえて、わかりやすくしている。
 
栄養がなく元気のない木には、ステキな果実は実らない。このことは今の私たちはもちろん、当時の人々にだって一瞬で理解できたはずだ。
 
みせかけでいい果実を結ぶことはできない。
 
私たちは聖書のことばを心に蓄え、それを糧に生きることで、豊かな実を結ぶ。滋味深い言葉をかけたり、憐れみをもって人と接することができる。
 
よい実を結ぼう。