聖書と歩む営業マンのblog

営業は大変な仕事だ。しかし聖書を読んで、売ることよりも仕えること、貰うよりも与えることを学ぶと、心が晴れる。

喜ぶもの

f:id:songchi0326:20190720160709j:image

喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。


(ローマ12:15)

 

+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+


このみことばは、イエスが語った黄金律「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」を実践するための行動指針である。


今どきの言葉を使えば「寄り添う」とでも言おうか。大切な人に寄り添う人間関係の構築とはすなわち、「ともに喜び、ともに悲しむ」ことだろう。


相手に寄り添うことが人を健全に保つことは、ピアサポートが一般的に知られるようになったことからも分かる。


しかし、寄り添うというのは、これがなかなか、アタマで分かっていても実践できないものだ。


ともに喜ぶことと、ともに泣くこと。果たしてどちらが容易いだろうか…。そんなことをふと考えてみる。



比較する前に、直前の聖句を見てみる。


「あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福すべきであって、呪ってはいけません」


喜ぶか泣くか、どちらが容易いか、どちらが困難か、そんな比較が瞬時に吹っ飛ぶこの聖句。


自分を憎む者や危害を加える者を祝福することに比べたら、ともに喜ぶこともともに悲しむこともなんと容易いことか。


ここで自分なりに答えを得た。


泣く者とともに泣くことの方が、喜ぶ者とともに喜ぶことより容易いのではないか、と。


なぜならそこには妬みの感情が潜んでいるからだ。人の成功を素直に喜べないとき、自分の中に羨望や嫉妬がある。この如何ともしがたい感情が湧いてくると、おめでとうと言いながら、心底から笑っていない自分を認める。


人類の歴史最初の殺人事件を見ても、兄カインが弟アベルを憎んだ理由は、弟が神に祝福されていることをともに喜ぶことができず、嫉妬したことにある。


しばらく時が過ぎて、カインは大地の実りを主へのささげ物として持って来た。アベルもまた、彼の羊の初子の中から、肥えたものを持って来た、主はアベルとそのささげ物に目を留められた。しかし、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それで、カインは激しく怒り、顔を伏せた。(創世記 4:3-5)



悲しんでいる人のそばでさらに悲しませることはしない。泣いている人のそばでさらに泣かせることもしない。悲しみのエネルギーは大きいので、同調することは容易い。ピアサポートもだから成立する。


私たちが意識的に寄り添うべきは、むしろ喜んでいる人であり、喜んでいる人のそばでその喜びをともに分かち合いたい。


妬みや羨みを超えたところに、他人の喜びへの同調、そして共感がある。


友人の喜び、同僚の喜び、家族の喜び、それらを自分のことのように喜び、一緒に笑い、祝おう。


エスは喜びについて、弟子たちにこう語った。喜びのオススメである。


わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。(ヨハネ 15:11)


喜びのシェアリング、喜んでいる人と一緒に、さぁ今日から。