聖書と歩む営業マンのblog

営業は大変な仕事だ。しかし聖書を読んで、売ることよりも仕えること、貰うよりも与えることを学ぶと、心が晴れる。

老いてなお

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年老いたときも、私を見放さないでください。私の力が衰え果てても、見捨てないでください。


詩篇71:9


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今年の連休は、家の中の整理整頓に勤しんだ。


これまでずっと手が付けられないままでいたクローゼットや、そこにある開かずの段ボール。


なかでも、アルバムや古い写真を捌くのに、最も時間を費やした。いや、時間だけでなく、精神的な負担をも強いられた。


約20年分の写真が数百枚はあったろうか、それらをいっきに廃棄した。


見たくない自分がそこにはいた。神を知る前の、刹那的に生きていた傍若無人な自分の姿を見るのは辛い。


その一方で、目に留まったのは高齢の方々の姿。20年前に通っていた教会で聖書の学びをしてくれた年老いた牧師。また、天に召された祖母たち。


そのとき浮かんだのが今日の聖句。



コロナによる休校が長引いていることで、子どもたちのことを気にして、心と身体の健康のために祈ってきた。


その一方で、老年の方たちのことは全く想像してこなかった。


祈りの対象にしてこなかった。


思うように買い物に行ったりできず、病院に行くのも恐る恐るだったり、日々ニュースを見て不安に駆られている方はたくさんいらっしゃるだろう。


先日、母の日があったが、帰省できないので、プレゼントを送ったり電話で話したりした。


やはり健康上の不安が大きい。


祈らねば。



年を重ねれば、力は衰える。判断も滞るし、行動も鈍化する。


できることよりできないことが増え、否が応でも自力から他力になる。他人に頼らなければ生きていけなくなる。


詩篇の著者ダビデ王もまた、老齢になり、心と身体の衰えを実感しているのだろう。


私を見放さないでください、見捨てないでください。


このダビデの祈りは、叫びであったか? それともささやきであったか? はたまた絞り出すように喘いで言ったのか?


しかし、ダビデの信仰は消えることはなかった。


続く箇所を読んでいくと
「私はなおも告げ知らせます。あなたの力を世に。あなたの大能のみわざを後に来るすべての者に」


とある。


信仰は消えるより、むしろ強められている。


神の素晴らしさをなおも伝えるという確信。老いてなお、伝道の精神がいささか衰えることはない。


かくありたい。