聖書と歩む営業マンのblog

営業は大変な仕事だ。しかし聖書を読んで、売ることよりも仕えること、貰うよりも与えることを学ぶと、心が晴れる。

創造論に立つ

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主よ、あなたのみわざはなんと多いことでしょう。あなたは知恵をもってそれらをみな造られました。地はあなたのもので満ちています。
 
詩篇 104:24
 
+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+
 
前回に続いてダビデの賛美。
 
この賛美は行き着くところ、進化論の否定である。
 
今から500年ほど前、天動説と地動説の論争があった。当時は地球が宇宙の中心とする天動説が常識で、太陽が中心だとする地動説は否定された。
 
しかし、コペルニクスガリレオなどによって、天動説が否定され、今では地動説が常識である。
 
常識と思っていることが覆ることがある。
 
創造論と進化論はどうだろう。
 
いま私たちが学校教育で習っているのは進化論で、誰もがそれが常識だと思っている。
 
ヒトは猿が進化したもので、ヒトの祖先はアウストラロピテクスとかホモサピエンスとか、教科書的にはそういうことになるし、学問的にも系統図で説明されたり、霊長類と分類されたりして、進化の末にヒトが存在している、とされる。
 
ダーウィンが「種の起源」で進化論を主張したのは200年前のこと。以来、進化論は世の常識となった。
 

 
きっとダーウィンも、500年前のコペルニクスらと同じように、最初は否定されただろう。新しい考えは、すぐには常識とは受け入れられないものだから。
 
そこからどのようにして進化論が今の常識になっていったのか、その過程はわからないが、少なくとも今の日本で進化論を疑っている人はほとんどいないのでは?くらいのレベルで当たり前のこととして浸透している。
 
私もなんの疑いもなく、ヒトの祖先は猿だと思っていた。
 
聖書を読み、神を知るまでは…。
 
創世記の最初の1節は「はじめに神が天と地を創造された」であり、続く27節には「神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された」とある。
 
これを説話だと思えば、聖書なんて小説と同じただのフィクションになりさがる。
 
クリスチャンであっても、たとえばイエスの存在は信じるけど創世記の天地創造は眉唾だから信じない、みたいに聖書を都合よく自分勝手に解釈する人もいる。
 
そんな我流の聖書解釈はよくない。
 
神の存在を信じる者は、進化論を受け入れることはできないはずだ。
 

 
ダビデは、地はあなたの被造物で溢れています!と賛美した。
 
神は、天を創り、地を創り、空の鳥、海の魚、地を這うものを創り、そしてご自分の性質に似せてヒトを創られた。
 
そして私たちに、自然界を支配することを命じられた。これを曲解すると、自然破壊や環境汚染も肯定されてしまうが、そうではない。
 
神が言う支配とは統治のことであり、英語だとrule overとあるから統制を取って治めること、つまり正しく管理すること、となる。
 
取り違えてはならない。
 
私たちは神の被造物。創られたもの(creature)は皆、創られたもの(creator)を褒めたたえる。だから賛美する。
 
被造物の賛美と言えば、詩篇 148だと思う。少し長いが全篇を引用したい。ともに賛美しよう。
 
↓↓↓
 
ハレルヤ。
天において主をほめたたえよ。
いと高き所で主をほめたたえよ。
主をほめたたえよすべての御使いよ。
主をほめたたえよ主の万軍よ。
日よ月よ主をほめたたえよ。
主をほめたたえよすべての輝く星よ。
天の天よ主をほめたたえよ。
天の上にある水よ。
主の御名をほめたたえよ。
主が命じてそれらは創造されたのだ。
主はそれらを世々限りなく立てられた。
主は去りゆくことのない定めを置かれた。
 
地において主をほめたたえよ。
海の巨獣よすべての淵よ。
火よ雹よ雪よ煙よ。
みことばを行う激しい風よ。
山々よすべての丘よ。
実のなる木よすべての杉よ。
獣よすべての家畜よ。
這うものよ翼のある鳥よ。
地の王たちよすべての国民よ。
君主たちよ地をさばくすべての者たちよ。
若い男よ若い女よ。
年老いた者と幼い者よ。
主の御名をほめたたえよ。
主の御名だけがあがめられる。
その威光が地と天の上で。
主は御民の角を上げられた。
主にある敬虔な者すべての賛美を
主の近くにいる民イスラエルの子らの賛美を。
ハレルヤ。