ですから、信仰は聞くことから始まります。聞くことは、キリストについてのことばを通して実現するのです。
ローマ人への手紙 10:17
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信仰は聞くことから始まる。
ふむ、そうだ。
しかし、聞くためには話す人、つまり伝道してくれる人がいなければならない。伝道する人は、神に遣わされ(招かれ)なければならない。
そう思うと、私たちがキリストのことばを聞いて信じるには、そのために働く人が不可欠ということになる。
遣わされる→伝道する→聞く、の順である。
聞くから信じることができる。そして、信じるから、祈り呼び求めることができる。
聞く→信じる→呼び求める、の順である。
この一直線の流れの真ん中に「聞く」ことが据えられている。聞くことがいかに重要であるか、ということだ。
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と、偉そうにまとめたが、このことは今回の聖句のすぐ手前にちゃんと書かれていて、私はそれを書き直したに過ぎない。
しかし、信じたことのない方を、どのようにして呼び求めるのでしょうか。聞いたことのない方を、どのようにして信じるのでしょうか。宣べ伝える人がいなければ、どのようにして聞くのでしょうか。遣わされることがなければ、どのようにして宣べ伝えるのでしょうか。(ローマ10:14-15)
と。
聞いて理解を深め、信仰を確かなものにする。
そのためにも私が愛聴している「聴くドラマ聖書」アプリは必須である。
https://graceandmercy.or.jp/
営業車で長距離を運転することが多いから、流しっぱなしでドラマバイブルが溢れてくる。電車通勤ならスマホで聴いているうちに1時間くらいすぐだ。
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私の信仰の原点は、三浦綾子である。
彼女の「塩狩峠」を読んで号泣し、乗客のために自分の命を捨てる、まさにイエスキリストのような生き方をした日本人がいたことに驚きと感銘を受け、その底流にキリスト教があったことを知った。
それから三浦文学にドップリ浸かり、文庫を買い揃え、小説の舞台を訪ねる北海道ひとり旅をした20代後半のころ。
そのときは読むことしかできなかったが、今ではオーディオブックという便利なシロモノがある。
https://www.hyouten.com/audio-library
コレで心置きなく三浦ワールドに入り込める。
小説に込められた著者の祈りを感じながら、自らの生き方を顧み、信仰を深めることができる。