望みを抱いて喜び、苦難に耐え、ひたすら祈りなさい。
ローマ人への手紙 12:12
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2020年も終わろうとしている。
1年前は今の世界を想像することはできなかった。局地的な感染病くらいの認識だったし、世界規模のパンデミックにまで至るとは思っていなかった。
3月には学校が一斉休校になり、子どもたちの自由が奪われた。その後、緊急事態宣言が発令となり、社会のシステムそのものがいっきに冷え込んだ。
在宅勤務がメインになり、リモート会議は当たり前になった。営業活動は電話やMailに加え、ZoomやMeetでの商談と、これまで経験したことのない動き方を強いられた。
夏が来たら落ち着くと思っていたが、事実いっとき小康状態になったりもしたが、秋になってまたぶり返し、そんな状況下でのGO TOもあったりで、冬には緊急事態宣言のときを超える感染者数を日々記録するようになった。
やり場のない怒りや悲しみを抱えつつ毎日を過ごしている。
人はどうしたらいいか分からないとき、アタマ真っ白の思考停止に陥るか、全知全能の神にすがるか、だろうと思う。
思考停止とは何もしないことではなく、思考にフタをしてただ目の前のことに没頭することでもある。その結果、心や身体に異変を来たす危険を孕んでいる。
一方、神を信じていなくても、神にすがるように、祈るような気持ちでいる人もたくさんいるだろう。今日取り上げるローマ人への手紙12章は、そんな私たちへの励ましになる。
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ローマ12章の冒頭を少し引用する。
12:1 ですから、兄弟たち、私は神の憐れみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたに相応しい礼拝です。
12:2 この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。
12:3 私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがた一人ひとりに言います。思うべき限度を超えて思い上がってはいけません。むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深く考えなさい。
与えられた恵み。
この時代、この場所、この家族、この仕事、この身体、命…すべて、神が最も相応しいとして分け与えてくださった恵み。
これらの何ひとつとして、自分の意思や力で得られるものはない。無条件に与えられる、神からの一方的な恵み。
当たり前のように思って生きているが、ふと立ち止まって静まると、この恵みに気がつく。
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当たり前だと思っていたことが崩れるとき、私たちは驚き、落胆し、怒ったり悲しんだりする。
常識が常識でなくなるのは恐ろしいことだ。
「世界は贈与でできている」という本を読んだ。この中で、常識が崩れることを小松左京のSFノベルを紐解き語っていた。コロナのいま読むと絵空事ではなくあり得そうな展開に、ゾッとする。
常識、つまり日常は、そうでなくなったときにその存在の大きさや大切さに気付く。例えば、定刻通りに来ない電車や欠品ばかりのコンビニの棚などが例示されていた。
このようなとき私たちは、今ないことに憤慨し他の誰かのせいでこうなったと捉えるか、今ないけど他の誰かがきっと元に戻してくれると捉えるか、どちらに立つか?
できることなら後者に立って、そしてできることなら世界を元に戻すための一員でいたいと願う。たとえ電車やトラックを運転できなくても、世界の安定を望み、祈ることはできるだろう。
望みを抱いて喜び、苦難に耐え、ひたすら祈りなさい。
こう言ったパウロは、人間の無限の可能性を信じていたに違いない。