あなたは正しすぎてはならない。
自分を知恵のありすぎる者としてはならない。
なぜ、あなたは自分を滅ぼそうとするのか。
伝道者の書 7:16
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何年か前のこと、フィンランドの子ども賛美チーム「イッピー」を教会の子どもたちで結成して活動していた時期があった。
その中の1曲に「色のうた」という、子どもたちが好んでよく歌っていた賛美がある。
「赤はイエスの愛、黒は心の罪、白は十字架で清めた心~」という歌いはじめだ。
この歌詞の「黒は心の罪」に、教会のあるご婦人から物言いがついた。
教会には日本人だけでなく、アメリカ人や韓国人など多様な国籍の人がいる。肌の色もいろいろである。「黒は心の罪」と言うと、肌の黒い子どもが傷つくかもしれない。だから歌うのをやめてほしい、と。
賛美チームを率いている大人たちと教会とで話し合った。結果、不本意ながら、この歌は教会では歌わないことに決めた。
いわゆるPC(ポリティカル・コレクトネス)だ。
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PCは実に厄介である。直接的な表現を避け間接的にしようとか、差別的・侮蔑的な表現を避けようとか、そういうのはこれまでもあったし、理解できる。
しかし、行き過ぎた自主規制は、言葉狩りを生む。
そう、正し過ぎてはいけないのだ。
物事は善悪・白黒だけで判断できるわけはなく、その中間、グレーなことだっていっぱいある。さらに、正しさだって、正しければなんでもいいというわけはなく、正しさにも程度がある。
正し過ぎる。それは、非の打ちどころがないことである。
そして、非の打ちどころがないことから、私たちは傲慢になるものだ。
この聖句は、そこに警鐘を鳴らしている。
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行き過ぎはよくない。
「~過ぎる」については、英語の表現が理解を助けてくれる。
正しさ=righteousに対して、行き過ぎた正しさは、overrighteousという。賢さ=wiseに対して、行き過ぎた賢さは、overwiseという。
前置詞overは、よく英語の参考書などにあるイメージでは、ある物体を覆うように半弧を描いたものである。onとかaboveとは明らかに違って、外套のことをオーバーというように「覆う」イメージがある。
だから、正しさも賢さも、行き過ぎると覆われてしまうのだ。
PCもそう。正し過ぎる、賢すぎるのは、正しさや賢さを覆ってしまうのである。
あなたは、兄弟の目にあるちり(おが屑)は見えるのに、自分自身の目にある梁(丸太)には、なぜ気が付かないのですか?(ルカ6:41)
他人に対して正しさや賢さを行使するのではなく、自分に対して、もっと言うと、神に対して正しく、賢くありたい。