味わい、見つめよ。
主がいつくしみ深い方であることを。
幸いなことよ、主に身を避ける人は。
詩篇 34:8
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味わい、そして見つめよ。
聖書ぽくない表現だな…と思う。
日本語よりも英語で読んでみると、よりそう感じる。
Taste and see that the Lord is good;
blessed is the one who takes refuge in him.
Taste and seeとある。
何を?というと、The Lord is Goodである。神がよい方であることを味わいなさい、と。
日本語訳のように、慈しみ深い方と奥ゆかしく言うよりも、神はよい方と直接的に言った方がはるかによく伝わる。
味わうとあるから、口にするものではあるが、ではいったい何を口にするかと言うと、祈りであり、みことばであり、賛美である。
詩篇34の冒頭に「私はあらゆるときに主をほめたたえる。私の口にはいつも主への賛美がある」とあるように、賛美をもって主を味わう。
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印刷された聖書を誰もが手にすることができる現代は、自由にみことばを声に出せるが、昔は巻物に記された聖書をシナゴーグの代表者や伝道者が朗詠し、それを聞いて親しんだ。
人々は聞いたみことばを繰り返し口に出して誦じて、そして、主が素晴らしい方であることを味わったことだろう。
詩篇には、他にも、みことばを味わうことに触れている箇所がある。
あなたのみことばは
私の上あごになんと甘いことでしょう。
蜜よりも私の口に甘いのです。
(詩篇 119:103)
英語訳だと
How sweet are your words to my taste,
sweeter than honey to my mouth!
ーPsalm 119:103
こっちも英語訳の方がいい。
日本語訳はどうしても表現が固い。英語だと感嘆文に比較級を合わせて、感情がほとばしる様子が伝わってくる。
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慌ただしく毎日を過ごす中で、聖書のみことばを聞き、それを口にして味わうには、心を穏やかにしてオープンにしておかなければならない。
目の前のことに取り掛かって、気がつけば時間が過ぎているような、自転車操業みたいな過ごし方をしていると、味わうことなんてできない。
自戒を込めて言っている。
今日の聖句の後半をよく見てみると、主に身を避ける者は幸い、とある。
ここが大切だ。
立ち止まって、心を主に向けて、みことばを味わい、そして見る。見るのは、自らの心の内である。
主に身を委ね、主に依り頼む。
そうすれば、大いなる祝福がある、ということだ。
祝福を、ください。