聖書と歩む営業マンのblog

営業は大変な仕事だ。しかし聖書を読んで、売ることよりも仕えること、貰うよりも与えることを学ぶと、心が晴れる。

エイリアン

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あなたがたも、かつては悪い行いをして神から離れ、心の中で神に敵対していた。


‭‭コロサイ人への手紙‬ ‭1:21‬


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日本語でエイリアンというと、おそらくほとんどの人が映画のエイリアンを想像して、おどろおどろしい地球外生命体を思い浮かべるだろう。


しかし、エイリアン(alien)は、単に外国人くらいの意味で、例えばアメリカでは、不法滞在者のことを、illegal alienと言う。
 
もう少しちゃんと調べると「異質な、相容れない、調和しない」といった意味がある。
 
どうして唐突にエイリアンの話をしたかというと、今日の聖句にある「神から離れ」の英訳が、alienated from God.とあったからである。
 
神を知る前の私たちは、神とは異質で、相容れず、調和しない存在だった。
 
そうなのか?
 
…残念ながらそうだ。
 

 
仮にクリスチャンファミリーに生まれたとして、物心つく前から教会に通い、意味も分からず賛美歌を歌い、見よう見まねでお祈りもしていたとする。
 
しかし、神を信じ心にイエスを迎え入れていないのであれば、形式的な、あるいは儀式的なクリスチャンに過ぎない。
 
傍目には清く正しく見えたとしても、神は心を見られる、ということだ。


alienated from God.なのである。
 
実に厳しい。
 
旧約聖書のサムエル記にもこう書いてある。
 
人はうわべを見るが、主は心を見る。(第一サムエル16:7)


「お天道さまが見ているよ」と小さい頃によく聞かされたが、感覚としては近いかもしれない。もっとも神は太陽をも創られた方だから、お天道さまレベルではないわけだが。


どんなに隠せたとしても、神は内側をしっかり見つめるのだ。



 
一方で、私のように無神論者の家庭に生まれ育った者、すなわち、日本の多くの人たちがそうであるように、クリスマス、からの除夜の鐘、からの初詣というティピカルな年末年始を過ごしている者にとっては、このような神の厳しさは相容れない。
 
そう、神から見たら、そんな私たちこそalienなのである。
 
心の中で神に敵対している者、なのだ。
 
しかし、神を知り、和解し、心を明け渡した今は、神に完全服従である。


今日の聖句の続きである22節を見てみよう。


今は、神が御子の肉のからだにおいて、その死によって、あなたがたをご自分と和解させてくださいました。あなたがたを聖なる者、傷のない者、責められるところのない者として御前に立たせるためです。


とある。


和解のための供えものこそイエスであり、なぜそこまでされるのかと言えば、私たちが、聖なる者、傷のない者、責められるところのない者となるためである。


神の論理はかくも深遠で真理なのだ。