聖書と歩む営業マンのblog

営業は大変な仕事だ。しかし聖書を読んで、売ることよりも仕えること、貰うよりも与えることを学ぶと、心が晴れる。

平和を保つ

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信仰によって、私たちはこの世界が神のことばで造られたことを悟り、その結果、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟ります。
 
へブル人への手紙 11:3
 
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夏になると戦争とか平和とか考える。
 
メディアがそう仕向けているのもあるが、事実として今から80年前は世界規模の戦争の只中にあったのだ。
 
80年はちっとも昔ではない。わずか2代遡れば辿り着く、近い過去である。当時の様子を語ることができる人もまだ存命である。
 
戦争の悲劇を訴え、平和の有り難さを伝え、広める。その意味においてはメディアの使命は大きい。戦争の惨劇を伝えるだけでなく、平和を作り、平和を保つことの大切さまで含めて伝えてほしい。
 
平和の反対が戦争であることは、小学生でも対義語として知っている。
 
しかし現実に目を向ければ、今も世界で戦争は起きているし、ここ日本でも戦争が起きる(あるいは巻き込まれる)可能性はある。
 
戦争がない世の中を祈り求めるが、争いは終わらない。
 

 
戦争はテレビやネットを観れば、戦闘機や戦車といったリアルな場面も、負傷して傷ついている人のことも、避難民のキャンプの様子なども目にすることができる。
 
対義語が平和と書いたが、しかし、戦争が無くなったら平和があるのか? と言われたらそうとも言えない。
 
仮に戦争のない世の中になったとして、国と国のレベルでは争わなくなったとしても、個人レベルでの争い、諍いは耐えることがないだろう。
 
そうすると、心の中の平安が保たれない。心の中の平安、これは内なる平和と言えよう。内なる平和は目に見えないが、私たちは見えないからこそ、その大切さを感じる。
 


今日のみことばから、戦争と平和のことを綴ったのは、「信仰によって、私たちはこの世界が神のことばで造られたこと」を知っているのだから、自分たちの私利私欲のために争い、破壊してはならないと思ったからである。
 
そして「見えるものが目に見えるものからできたのではない」、つまり、見えないものによって、この世ができていることを「平和」という二文字に込めたかったからである。
 
エスは「平和を作る者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです」と言った。
 
平和はもらうものではない。勝手に降ってくるものでもない。平和は、自ら望んで作り出すものなのだ。
 
最後にパウロがローマ人への手紙で語ったことばで締めくくろう。
 
喜んでいる者たちとともに喜び、泣いている者たちとともに泣きなさい。(中略)自分に関することについては、できる限り、すべての人と平和を保ちなさい。
(ローマ人への手紙 12:15,18)
 
Give Peace A Chance!