わたしがあなたがたを引いて行かせたその町の平安を求め、その町のために主に祈れ。その町の平安によって、あなたがたは平安を得ることになるのだから。
エレミヤ書 29:7
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結婚記念日と手作りケーキが影響したのか、この街に引っ越してきたときのことを思い出している。
いまからちょうど15年前。
名古屋の広告制作会社で営業をしていた私は、東京オフィスへの異動辞令に伴い、東京に舞い戻った。
25才のとき、仕事を辞め都落ちさながら東京から田舎に逃げ帰った。それから10年、人生をやり直すべく壊れた身体を治癒し、仕事を見つけ、音楽を再開し、神に出会いクリスチャンになった。そして結婚し、家族を持った。
娘が生まれて半年が経った頃、10年ぶりに東京に移り住んだ。落ち着いた暮らしがしたくて、郊外を選んだ。縁もゆかりもない街であったが、川が流れていて、地場野菜が採れて、公園がたくさんあって、人が優しい街だった。
引っ越してから5年が過ぎ、この街に根を下ろすことを決めた。
娘が通っていた保育園がキリスト教に根差していたことは、定住の理由の1つ。けれど何より大きかったのは、この街が日本で一番、人口当たりの教会の数が多いこと、そして私たち家族が繋がる教会が与えられたこと、これである。
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礼拝では、牧師自ら祈る。
祈りの中で、牧師は必ず、教会が建てられたこの地域のことを口にする。
「主よ、あなたがこの地にあなたの教会を建てられ、あなたの栄光を現すために用いてくださっていることを覚え感謝します。どうぞ教会の今週の歩みもあなたが守り、備え、導いてください」
毎週欠かさず祈るから、もうすっかり覚えている。
この世に建てられた物理的な教会を地域教会と言う。クリスチャンは地域教会に属し、教会を通して神がなされる御業をともに味わう。
なぜ地域教会が大切なのかというと、キリストのからだが教会であると、聖書に書いてあるからだ。
キリストは、私たちと同じ肉体を纏ってこの世に来られた。私たちと同じ喜びと苦しみを味わい、十字架によって私たちの罪を贖うために来られた。
キリストは天に帰られたあと、この地に教会を建てると宣言された。神の栄光は教会を通して現されるとして。
だから、私たちは地域教会に属する。
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とはいえ、さまざまな事情で物理的な教会に属することが難しいこともあるだろう。今ならオンライン礼拝も主流だから、所属することに重きを置かなくなっているかもしれない。
すると、今日の聖句は別の意味になるかと思いきや、逆に益々強いメッセージとして迫ってくる。
いま住んでいる街は決して偶然ではなく、かといって完全に自分の意思でもなく、神の計画として連れて来られたと捉えてみる。
この街に来たのは神の計画のうちにあったことを思うと、それにどう応答すればいいのかと考えてしまう。
しかし、この聖句で神は預言者エレミヤを通して、シンプルに命じている。
住んでいる街の平安を祈りなさい、と。平安を神に祈ることによって、自分もまた平安を得ることになるのだから、と。
簡単な原則に従って、私たちは平安を手に入れる。