イエスはそこから進んで行き、マタイという人が収税所に座っているのを見て「わたしについて来なさい」と言われた。すると、彼は立ち上がってイエスに従った。
マタイの福音書 9:9
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2023年の最後を締め括る聖句を…と思っていたが、今年の漢字のニュースを読んで予定を変更した。
今年の漢字(NHKニュース)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20231212/k10014285311000.html
「税」であった。
てっきり昨年と同じ「戦」だろうと思っていた。ウクライナ、そしてパレスチナと、戦争のニュースに心を痛めることが多かったから。
「税」が1位になった理由を見てみると、確かに多くの人にとって大きな関心事であったことがよく分かる。日々の暮らしに直接的な影響を及ぼす「税」だから、増税や減税のニュースに敏感になるのも仕方ない。
それでも世界に目を向けて、多くの人が命を落としている現実を知り、平和を求め祈ることを最優先したい。
「和・穏・幸…」といった漢字が世相を表す世の中になることを願う。
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そんなこんなで「税」に引きずられてしまい、今年最後の聖句は、マタイがイエスに招かれたときの1節にした。
「マタイの福音書」を書いた使徒マタイの職業は取税人であった。「税」を払う側ではなく貰う(取り立てる)側にいたのがマタイである。当時の取税人は民衆に大変嫌われていた。
なぜなら、取り立てた税金は当時ユダヤを支配していたローマのものであり、取税人はローマの手先と見なされていたからだ。
マタイがなぜ取税人という職業であったのか、代々受け継いだものなのか、マタイが望んだのか、せざるを得ない状況にあったのか、それは分からない。
私たちには分からないが、イエスははっきりと分かっていた。分かっていたからイエスはマタイを弟子として招いた。立派な人物だから招いたのではなく、マタイの心に触れ、悔い改めの招きをした(機会を与えた)のだ。
イエス自身も「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くため(マタイ9:13)」と証言している。
まさに「人はうわべを見るが、主は心を見る(第一サムエル16:7)」である。
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さて、取税人に求められるスキルとは何だろう。
ユダヤの地は東西南北の交通の要所であり、さまざまな国の人々が行き交った。マタイはそれらの人から正しく通行税を取り立てる必要があった。
そうすると必要なスキルは、語学力・計算力・記述力の3つであろう。
マタイは後に「マタイの福音書」を書く。その書き始めは「アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図(マタイ1:1)」であり、イエスがアダムから繋がる聖書に預言されたメシアであることを記している。
取税人として働いていたマタイのスキルは、福音書記者として如何なく発揮された。彼の語学力や記録によって、キリストの福音がユダヤ人のみならず2000年のときを経て現代の私たちにも届いている。
取税人からイエスの弟子、そして福音書記者へと、大いに変えられた人生、想像すらしなかった人生を送った人、それがマタイである。
マタイという名前の意味は「神の贈り物」だと言う。マタイがイエスとの出会いによって、人生を180度方向転換し、取り立てる者から仕える者へと変えられた。
私たちも人生のあるタイミングで「わたしについて来なさい」と招かれる。
その招きを受けて、なお座り込んでいるのではなく、立ち上がって喜んでついて行く者でありたい。