聖書と歩む営業マンのblog

営業は大変な仕事だ。しかし聖書を読んで、売ることよりも仕えること、貰うよりも与えることを学ぶと、心が晴れる。

Kさんとの再会

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試練に耐える人は幸いです。耐え抜いた人は、神を愛する者たちに約束された、いのちの冠を受けるからです。


ヤコブの手紙 1:12


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またまた教会の話。


礼拝での賛美奉仕を再開したことは、以前ここに記した。


なかなかリズム感が戻ってこないが、ドラムを叩きながら会衆と一緒に賛美できることは、この上ない喜びだ。


先日の賛美でのこと。礼拝前のリハの最中、ふっと顔をあげて最前列を見やると、見知った顔があった。


なんと、それはKさんであった。


驚いた。名古屋のKさんがどうしてこの教会にいらっしゃるのだろう…。


リハが終わり、足早にKさんに駆け寄り声を掛けた。Kさんもすぐに私を認識してくださり、お互いに再会の喜びを分かち合った。


現在、Kさんは国際的な飢餓対策NGOの代表を務めており、都内在住であった。私たちの教会がその団体にイースター献金をささげたことから、感謝と活動報告のために来会されたということだった。


そんなKさんとの出会い、そして思い出を少し語りたい。



20年ほど前、私は名古屋の広告制作プロダクションで営業マンとして働いていた。


営業先として名古屋市内の印刷会社を訪問しているときに出会ったのがKさんだった。


Kさんが社長を務めるその会社は、社名からすぐにキリスト教関連とわかったから、私は出会って早々に「もしかしてクリスチャンの方ですか?」とKさんに尋ね、クリスチャンであることがわかり喜んだ。


そんな出会いがあったが、私は程なくして退職し、家族で東京に引っ越してしまった。


広告の営業は、想像以上にキツくて、ほぼ毎日終電で帰るような状態だった。おまけに社長との関係も劣悪になり、パワハラ被害にも遭った。身も心もボロボロになった私は、妻と生後半年の娘を連れて東京に移り住んだ。


東京に来たものの、仕事のアテはなく、通うべき教会もない。ハローワークに通いながら職業訓練を受け、時折面接を受けながら半年ほど無職で過ごした。


そんな折、クリスチャン祈祷会のために上京したKさんから連絡があり、ともに食事を愉しんでいる席で仕事と教会の相談を持ち掛けた。


仕事のアドバイスは極めてシンプルだった。日曜日に仕事がないこと、信仰が弱められないことの2つだった。これで迷いがなくなった。


教会は、私の住まいとドラムが叩けることを考慮した上で、Kさんの大学時代の同級生がいるところを紹介してくれた。それがいま私たち家族が通っている教会である。



いま振り返れば、あの時代は私に必要だから与えられた試練だったと思える。


しかし、渦中にいるときは分からないものだ。底無し沼にいるような暗澹とした気分を何度味わったことか。スーツを着て朝早くにうちを出るのに、向かうはハローワークだったり、人材バンクのカウンセリングだったり、自分が惨めで仕方なかった。


時を同じくしてリーマンショックが起こり、求人がいっきに冷え込んだ。役員面接まで進んだのに年齢や未経験がネックで受からなかったり、内定取消しの憂き目にもあったりもした。


Kさんが紹介してくれた教会で日曜の礼拝に参加できたことは、だから大きな救いであった。


あれから私は仕事に恵まれ、健康も守られ、家族の愛を失うこともなかった。コリント人への手紙第一10章13節を噛み締める。


あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます(第一コリント 10:13)

 

脱出、そう、まさに苦難からのエクソダスであった。


Kさんに再会できてよかった。このタイミングで会えたこと、それもまた神の計画であろう。