聖書と歩む営業マンのblog

営業は大変な仕事だ。しかし聖書を読んで、売ることよりも仕えること、貰うよりも与えることを学ぶと、心が晴れる。

聞いて行動する

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みことばを行う人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけません。

ヤコブの手紙 1:22

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営業からマーケティング部門に異動になって1年。

やりたかったマーケティングであったが、いざ取り組んでみると上手くいかないことばかりだった。

授業で学んだことや本で読んだことが役に立たなかったとは言わない。しかし、現場においては知識では立ち行かないことが多かった。

社内のやりとりがやたら多かった。そして、それは2年目に入った今も、残念だが続いている。

営業のときはイヤなことがあっても外に出ればよかった。ツライことがあってもお客さんと話せばすぐに気持ちを入れ換えることができた

朝からオフィスにこもっている今はそれが叶わない。それが一番きつい。さらに、やりとりの多さとそれによって抱えるストレスもきつい。

頑張りたい自分と逃げ出したい自分がいる。問題を解決したい自分と投げやりな自分がいる

今日の聖句を読んだとき、瞬間的に心臓を鷲掴みにされたような苦しさを味わった。誰にも見られなくない秘密の場所をこじ開けられたような恥ずかしさを感じた。

管理職として部下の話をよく聴くように努めている。傾聴は必須スキルだから、いつも意識している。たぶん、話を聴いてくれる上司と思ってくれているのではないかと、それなりにちゃんとやれているのでないかと思ったりする。

しかし、だ。

仮に部下によく思われていたとしても、私のことは私自身がよく知っているのだ。

ちゃんと聴いているフリをしているだけで、まともに話を聴いていないことがあることを。頷きながらも上の空のことがあることを。

自分を欺いて、ただ聞くだけの者。それはまさに自分のことではないか。

翻って、聖書を読み、説教を聞き、みことばに触れたとしても、ただ聞くだけで行動を伴わないのなら、それは自分を欺いていることになる。

聞いても行動しないことを「生まれつきの顔を鏡で眺めるようなもの」と例えている。

みことばを聞いても行わない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で眺める人のようです。眺めても、そこを離れると、自分がどのようであったか、すぐに忘れてしまいます。
ヤコブ 1:23-24)

私たちは毎朝自分の顔を鏡で見る。しかし、仕事に行けば自分がどんな顔をしているかなど意識しない。それと同じように、みことばを聞いても生活の中ですぐに忘れ、みことばとは関係なしに歩んでしまう。

では、みことばを実行するために、なんとか忘れないように自分の意志を強く持てばいいのだろうか。実際は、自分の力ではどうすることもできない。

逆説的ではあるが、みことばを聞くだけで行動しない者から行動する者になるためには、みことばを聞くことが大切である。

ポイントは、みことばを聞いて、そのみことばから離れないように、そのみことばに留まるようにすることである。

エスは言う。「あなたがたは、わたしのことばにとどまるなら、本当にわたしの弟子です(ヨハネ 8:31)」と。

みことばを聞き、そこに留まりつつ行動しよう。