この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。
ローマ人への手紙 12:2a
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不思議な聖句だ。
命令文が2つ並んでいるのだが「否定の命令形」と「受身の命令形」が対句になっている。日本語よりも英文の方が理解しやすいかもしれない。
Do not conform to the pattern of this world. Be transformed by the renewing of your mind.
2つのポイントを示そう。
1つは、conformとtransformについて。もう1つは、受身の命令形について。
「フォーム:形」を意味するformに、con-/trans- という接頭辞がつくとどうなるか。
con-には「一緒に」という意味があるから、conformは「適合する」となる。trans-には「移す」という意味があるから、transformは「変形する」となる。
「この世と調子を合わせてはいけません」は、俗的で肉的な生き方をしないように、という命令である。
リビングバイブル訳を見てみると「この世の人々の生活や考え方をまねしてはいけません」とあって、さすがわかりやすい。
後半の「心を新たにすることで自分を変えていただきなさい」は、自力ではなく神に頼んでリニューアルされることを命じている。
同じくリビングバイブル訳を見てみると「なすこと考えることすべての面で生き生きとしたまったく新しい人となりなさい」とあって、これまたわかりやすい。
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さて、リビングバイブル訳では、Be transformed by the renewing ~が「新しい人となりなさい」と訳されているが、これでは残念ながら「受身の命令形」になっていない。
「変わりなさい」と命じられたら、自分の力で変化しようと努力してしまうだろう。
世の中は「変わりたい」願望に溢れている。ダイエットや整形といった外見的な変化はまさにそうだし、コスプレのような変身願望もまたそうである。
また、ネガティブ思考だからもっとポジティブになりたいなど、内面的な変化を求めて努力する人も多いだろう。
ビジネスにおいても、外見や内面は常に変化し続けている。
変化というよりは、ブラッシュアップとかリスキリングとかの片仮名ワードで上手に包められて、スキル向上による変化を半ば強制的に自分に課しているような気がする。
変わりなさいと、変化を求めているのは組織だったり管理職だったりするかもしれない。
が、自分自身が変わりたい、変わらなきゃと思っているように錯覚し、変わらないと居場所がなくなると自分を追い込んだりすると、これは危険な状態である。
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クリスチャンは、自分の力を過信して、自分の力ですべてを為そうとすることの虚しさを知っている。
神と自分を仲介する存在としてイエスキリストがいる。
神が私たちに「変わりなさい」と命じているのではなく、イエスが私たちに「(神に)変えていただきなさい」と命じる。もう少し直接的に表現すると「変えられなさい」となる。
自分が「変わりたい」と思うとき、自分の力で為そうとするのではなく、神の前にへりくだり「変えてください」と求めよう。
「変わりたい」気持ちを否定するのではない。外見はともかく、内面の変化を求めるときこそ神に「変えてください」と祈る。
些細なことにすぐに腹を立ててしまう短気な自分を改めさせてください。柔和で寛容な性格にしてください。顧客や同僚と会話をするときに思いやりを忘れずにいられるようにしてください。
祈りによって内面が変えられると表情が変わり、態度が変わり、行動が変わる。そうして外見にも変化が見られる。
あるとき過去の自分を振り返り「あぁ、私は神に変えていただいたのだなぁ」と実感するときが来る。楽しみではないか。