「闇の中から光が輝き出よ」と言われた神が、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせるために、私たちの心を照らしてくださったのです。
コリント人への手紙 第二 4:6
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営業パーソンをタイプ別に「自燃型・他燃型・不燃型」と分類することがある。
自燃型とは、特に手をかけずとも、勝手に動く人材で、まさに自家発電タイプである。
他燃型とは、自分から勝手に動くことはないが、助言したりけしかけたりすれば動き出す人材のこと。多くの営業パーソンはこのタイプかと思う。
そして不燃型。これは押しても引いても動かない岩のような人材で、管理職としては手をあぐねるタイプである。
どうしてこんなことを書き始めたかというと、クリスチャンにも「自燃型・他燃型・不燃型」があるのではないか?と思ったからだ。
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しかし、同じ3つのタイプでも営業パーソンとクリスチャンは異なっていて、自燃型はあり得ないと思っている。
私の持論は、自燃型のクリスチャンはいない。自ら光を放つことができる存在は神しかいない、である。
私たちがキリストから聞き、あなたがたに伝える使信は、神は光であり、神には闇が全くないということです。(第一ヨハネ 1:5)
にある通り、神は光だからである。
なんだか周りくどい話の展開になってしまったが、クリスチャンの3つのタイプは「可燃型・他燃型・不燃型」となる。
自燃型ではなく可燃型、である。
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照らされると喜んでそれに応答する可燃型、照らされると思い出してそれに応答しようとする他燃型、照らされると背を向けて拒否する不燃型。
可燃型クリスチャンは、泣くものと共に泣き、喜ぶものと共に喜ぶことができる人。みことばに親しみ、よく祈る人。
他燃型クリスチャンは、一見するとクリスチャンか分からないけど、日曜日には礼拝に出席してみことばに触れる人。
不燃型クリスチャンは、信仰告白して受洗していても、なんらかの理由で信仰に躓き、みことばに背を向けてしまっている人。
自ら発火する太陽が神であり、私たちは太陽の周りにいる惑星、それを受けて光り輝く存在である。
アロンとイスラエルの人々がすべてモーセを見ると、なんと、彼の顔の肌は光を放っていた。彼らは恐れて近づけなかった。(出エジプト 34:30 新共同訳)
神の光を受けて輝くものでありたい。主よ、私たちの心を照らしてください。